内容
【島キクジロウ&NO NUKES RIGHTS】1985年よりthe JUMPSのボーカルとして活動開始。翌年にはブルーハーツ、レピッシュ、ロンドンタイムズとオムニバス・ライブ・アルバム『JUST A BEAT SHOW 1986.3.8 YANEURA』を発表、その後も多数のCD等リリースし、今年30周年を迎えた。
また、時代の転換期に直接対峙すべく、2010年末よりロック弁護士として活動を開始し、2014年1月と3月には約4000名の原告による「原発メーカー訴訟」を提起し、新しい人権「ノー・ニュークス権」を提唱。同時に、アコースティック・ソロ・ユニット、島キクジロウ&NO NUKES RIGHTSとして始動し、Sax.福島ピート幹夫(KILLING FLOOR)、Per.小澤亜子(ex.ZELDA)、Per.吉田スパイシー雄三(ex.THE JUMPS)、AG.クロス(the LEATHERS)が順次合流して、現在の基本的な形が完成した。
今年の8月には、甲本ヒロト、MAGUMI、宙也、三宅洋平ら多くの仲間たちの協力を得て完成させたアコースティック・パンク・アルバム“ROCK’N’LAWYER宣言”をリリース。
BIOGRAPHY
SHIMA KICK・JIRO(島 キクジロウ)
1962年11月11日名古屋市生まれ
1981年4月 早稲田大学政治経済学部入学。
同時にバンド結成、ライブ活動を始める。
1982年4月 ビートバンドによる新しいムーブメントを起こすべくシリーズギグ“JUST A BEAT SHOW”を始める。
1985年1月 前年秋よりロンドン留学、帰国後the JUMPSとして活動開始。
1986年3月 大学卒業
1986年4月 オムニバスライブアルバム「JUST A BEAT SHOW 1986.3.8 YANEURA」 (w/ THE BLUE HEARTS,LA-PPISCH,THE LONDON TIMES)リリース。
☆その後、数多くのCD、ビデオリリース、ツアー、などのバンド活動と並行して、 様々な市民グループと連携したイベントを開催。
湾岸戦争時の“STOP THE WAR”(1989)、新宿路上生活者支援の“新宿夏祭り”(1994-96)、戦後50年にあたりアジアとの共生をテーマにした“ASIAN CALLING”(1995-96)、
新しいライフスタイルを模索した“DEAD ATOCK 4days”(1996)、高校生グループと共に様々なテーマを取り上げた“勇気のない魚たちのクーデター宣言”(1997)・・・
☆1996年より、田中秀征氏(細川内閣首相特別補佐、経済企画庁長官など)主宰のさきがけ塾専修科に参加。20名ほどの、大学講師、地方議員、研修医、国会議員秘書などと共に日本の政治課題について学ぶ。ここで小日本主義の石橋湛山思想に出会う。
1998年12月 高円寺でcafe garage Dogberryを始める。
1999年7月 インディーズレーベルSwingin’ Dog Records設立。
2002年11月 “JUST A BEAT SHOW”300回にて終結。
2003年 パンクファッションブランド「HUNDRED CLUB」との
共催イベント“GET YOUR STYLE”を始める。
2004年1月14日 下北沢シェルターでのワンマンライブ“LAST BANQUET”にて、the JUMPSの活動休止を宣言する。
2005年4月 駒澤大学法科大学院入学
2009年9月 2回目の司法試験で合格
同年11月〜2010年9月 高知にて司法修習
その間、Jo-Kick Laws結成、イベント“SCHOOL THE BEAT CLUB” を7回開催
2010年12月 東京弁護士会にて弁護士登録http://r-rights.jp/attorney/
2011年3月11日の原発事故以降、脱原発イベントへのソロでの出演要請が増えていったことから、2014年9月ころより、旧知のメンバーによる「島キクジロウ& NO NUKES RIGHTS」として活動を開始した
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